精神疾患の既往歴があると生命保険に入れない

とんでもないことが判った。
精神疾患の既往歴があると生命保険に加入できないらしい。それに、住宅ローンを組むこともできないらしい。
これには愕然とした。軽い気持ちで上司の勧めに乗って精神科を受診してしまったために、いざというときの備えができなくなってしまうとはあんまりだ。

このことを知った絶望度は相当なもので、一瞬自暴自棄になりそうだった。
人生は、一度つまづいてしまうと、その過去に犯した躓きが未来で新たな躓きを生み、ますます生きづらくなっていく。

わたしは確かに少年期を最悪な気分で過ごし、心に深い傷を負った。しかしそれを乗り越えてここまで来た。
この年になって再び人生に大きく悩んで、精神科へ行った。だが、今度もなんとか持ち直した。
にもかかわらずだ。今度は単に精神科へ行ったという事実のせいで、生命保険も住宅ローンも組めないペナルティーを課せられるとは一体どんな罪を犯したというのか。憤りを覚える。

若い頃から努めて貯蓄に励み、ある程度の額の備えをしてあるから、自宅の建て替えくらいは賄えそうだ。
しかし、それをやったら老後の備えが消え失せてしまう。どうやらまだまだお金を貯めていかないことには安心できないようだ。
そう思うと、40歳を過ぎる辺りから職を失ったら、貯蓄ができないどころか貯蓄を取り崩して生活しなければならなくなって、その時点で一発アウトの破滅である。
ああ死ぬまで働き続けるどころか、収入が下がれば一瞬で終わりなんて、まるで綱渡りのように人生は危ないではないか。

だが、よく考えると、わたしは生命保険を必要に思ったことはない。自分に万一のことがあっても困る妻も子もいない。
それに、住宅ローンも初めから組むつもりがない。他人から借金をして買い物をしようとはどうしても思えない。
だとすると、特に困ることなどないのだが、要は「自分はいざというときの備えができないスティグマを落とされている」という気持ちの悪さを拭いたい一心なのだろう。

こんな一見些細なことに絶望したりするのだから、なんと柔な心なのであろうか。

ちなみに、地震保険や火災保険は精神疾患で組めないということはなさそうだ。常識的に考えて、そんなの当たり前なのだが。

親から自立できず中年を迎えた怖い人

怖い人を見つけてしまった。

https://twitter.com/unhappynahoho/status/1067421224089731072

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これを見たときは「どうせ10代〜20歳くらいの若い子がイキってるんだろう」くらいに思ったのだが、なんと35歳の中年を迎えている・・

https://twitter.com/unhappynahoho/status/1066578644737216512

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ほら、この通り・・

https://twitter.com/unhappynahoho/status/1067416441308176384

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この発言も怖いよなぁ・・
知り合いに40手前にもなってまだ人生を親に支配され台無しにされたと言っている奴がいるので、どこにでもこういう危ない奴っているんだと思ったんだが。
幸い、その知り合いはそれなりの収入を得て職に就いているけど、この人なんて完全に無職なわけでしょ、親が耄碌したり死んだら完全に生きていけないよな・・

他にもTwitterに威勢の良いツイートが流されているので面白いけど、まさにネット弁慶そのものって感じだと思った。
面と向かってあんなことは誰にも言えないもんだから、すぐに暴力に走る思考に陥るものの実行にも移せず悶々としているんだと思う。

大卒みたいだから、フリースクールに通うって社会復帰の道もなさそうだし、第一プライドが肥大化しているからフリースクールなんて絶対行かないよな。
こういう、成年期までに親からの自立と一定の社会生活と最低限の人とのコミュニケーションの経験を築けなかった人をわたしは「人間になれなかった人」と名付けているのだが、たまに見かけるたびにやばいやつだと思う。

blog.livedoor.jp

ここに書いてあった一節の

誰がやってもいいような最低賃金の仕事をそれなりに一生懸命やってなるべく長く続けさしてもらえるような環境を作っていく。そうやって生きていけばいいと思う
スキルも若さもない人間が馬鹿の一つ覚えみたいに「正社員正社員」「手取り最低20万」と夢見てたら無職期間が伸びるだけ。借りに正社員で雇用してもらえてもそんな人間雇ってくれる場所と言えばブラック企業でしかないだろう。ますます傷ついて「うつだー病院だー会社が悪い―社会が悪い―政治が悪い―」とか一番性質の悪い人種になる可能性もあるからな

まさに「一番性質の悪い人種」ってやつだろう。

https://twitter.com/unhappynahoho/status/1058351422444433408

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これとか見ると10代〜20歳くらいの時期に人から嫌われたくないあまり人付き合いができない時期って自分にもあったけど、35歳にもなってこんなこと考えているんだもの。
手遅れだよなぁとつくづく思う次第である。

https://twitter.com/unhappynahoho/status/1058352524007067648

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こんな人に興味を持ってリアルしようと思う人っているんだなぁと思うけど、一度会って次がないあたり、友達になりたいとは思わなかったんだろうな。
こういう頭おかしい人と直接関わり合いにはなりたくないからYoutuberとかやってくれると面白いんだがなぁ。

退屈な日々と無気力な自分(3)

この記事では、無気力状態からどうやって抜け出したかを書いていこうと思う。
とはいっても、目下、無気力状態から完全に抜け出せたと自信を持てるほどではなく、脱出の最中ではあるが。

薬の服用を自主的にやめる

まず最初の第一歩が薬の服用を自主的にやめたことだと思う。
統合失調症の治療薬も、睡眠導入剤も、両方ともきっぱり飲まないことにした。
通院はまだ続けているのだが、処方箋を調剤薬局へは持って行かず、捨てた。
今後のステップとしては通院自体もやめることだが、産業医の紹介で始めてしまったため穏便にやめるにはどうしたら良いか思案中である。

とにかく、薬を飲まなくなったことで何時に寝ても良いし、自分を精神疾患者という枠組みで捉える必要が無くなった。
睡眠時間を固定される状況から解放されたことは生活を再びフリーハンドで営む余地を生んだ。また、精神疾患者というレッテルをはがしたことで、下手に治療を意識してやりたいことを思いとどまったりする必要が無くなった。

やりたいことを制限なく実行する

次に、やりたいことや食べたいものなどを制限を設けず許可した。
例えばテレビCMで見かけたスポットへ出かけてみるとか、休日におでんを煮て昼間から酒を飲むとか、饅頭やどら焼きを一気食いするとか、そんな他愛もない希望である。
これをすることで、生活を「自分のしたいこと」を中心に組み立てるようになった。

「やりたい」基準で生きる危うさ

時間を有意義に過ごすということは目的を失った人には大変難しいことだ。
目的を持っていれば、その目的に合致するか否かで事物の有意義さを決めることができる。しかし、それを持たない人には物事の意義を定める尺度がない。

わたしは目的を失ってしまったので、仕方がないので単にそれを「やりたい」と思うか否かで意義を与えることにした。
これは非常に危うい尺度である点、よく解っているつもりだが、今はこうするしか方法を持ち合わせていない。

以前は収入を増やすとか、仕事で人に認められるとか、有名になるとか、そういった人生の成功を人並みに望み、それに向けて努力できた。
職業において成功するという目的を持てたのである。

本来は他の目的を持って日々を過ごしていくことが一番だと思うが、新しい目的などそう簡単に手に入らないし、そもそも無気力状態に陥った生活など一刻も早く抜け出したい。だから「やりたい」という安易な基準であってもそれを使って当面は生きていく方がずっとましだ。
もしかしたら新しい目的を永遠に得られず、安易な基準だけで最後まで行くしかないかもしれない。しかし、そう悪いことばかり考えていると結局滑稽かつ悲惨な現状から抜け出せないので、もう考えることをやめた。
すると、だいぶ気持ちが楽になった。

過去を取り戻そうとするのをやめた

無気力状態に陥る過程で苦しんでいた「仕事ができなくなる不安・職を失う不安」に関しても、今の職場で当面続けていくことにした。
おそらく出世もできなければ、周りの優秀な同僚と肩を並べることもできず、職場では惨めな立場に甘んじざるを得ないかもしれないが、それを受け入れることにした。

仕事も私生活も充実した日々がほんの一年前に存在したことが今では考えられない。
無気力状態の3ヶ月間、過去を取り戻したいと何度も思ったが、それを諦めることにした。
過去に戻ることは物理的に不可能だ。どう考えたって、今のわたしが20代の頃に戻ったりできないのだ。
昔を取り戻そうと何かやったところで、新たに時間を上書きしたことにしかならない。

現状維持の重圧

一度挫折を味わうと、最高でも現状維持しかできない事柄が色々と見えてくる。
それらはつまり自分の能力の限界なのだが、これまで培ってきたものを捨てて一からやり直すには歳を取り過ぎていてデメリットの方が大きい。
現状維持にも努力が必要と思うと絶望的な気持ちになるが、そこを堪えることが大切だと思う。

35歳を過ぎて将来が不安だと言って会社を辞めたところで、行き着く先など無職の奈落であろう。
かつては、まだ30年以上働き続けなければならないと思うと絶望的な気分になり、もっと居心地の良い居場所に移りたいと思い、転職を考えたがそれは無理だ。
仕事が暇という問題を除けば正社員で収入もそれなりにあり、同僚は優秀なので仕事の課題に突き当たったときに行き詰まることもない。
毎日定時で帰宅することだって可能だし、ボーナスもある。
この身分を捨てるのは惜しいし、転職してもっと悪い条件の職場を引いてしまうリスクを抱えるのは嫌だ。

これから先の未来はあるのか

ひとまず、これら3つのことをして毎日が無気力な状態から抜け出せた。
これがただの小康状態に過ぎないと思うのは元の木阿弥なので考えるのをやめた。

この後どうしていくかは更に考えていかなければならないが、すぐに答えを出す必要もなかろう。
要するに、目を背けたい現実は一旦見ないことにしただけ、と言われればそうなのだが、今の自分にはこれが必要なのだ。

退屈な日々と無気力な自分(2)

この記事では無気力状態に実際に陥る過程を書いておこうと思う。

精神科の通院と薬の副作用

だいぶ前に職場で体調を崩したとき、上司に産業医との面談を勧められた。
それからなぜか産業医の所属する精神科への通院がはじまることになり、薬を飲み続ける生活が始まる。
無気力状態に陥る原因は、自分ではこの通院生活にあったと思う。

精神科医が言うには体調不良の原因は統合失調症で、薬を飲むと治ると言われて服薬を始めた。
いつしかそれが薬を飲み続けないと症状はおさまらないので、通院と服薬を続ける必要があるという話になった。
最初にクリニックへ行ったときは、自分が「乖離」ではないか検査して欲しかっただけなのだが、検査はついぞ行われず、なぜか統合失調症であると決まってしまった。
統合失調症であるか否か調べたわけではないのに薬の服用がはじまり、いつしか永遠に服薬を継続しなければならなくなった。

今思うと、体調不良は一時的な(ただし、相当ダメージの大きい)不調にすぎなかったのだろう。
そこへ統合失調症というレッテルが貼られて、薬が処方された。最初はそういう病気のせいで調子が悪いのだという根拠を得られて安心したのだと思う。
おかげで気分は向上したのだが、代償として通院・服薬を続けなければならなくなった。
そして、しばらくすると薬の副作用に気づき始める。眠れなくなるのである。

統合失調症の薬はドーパミンの分泌を調整する仕組みになっていて、これのせいで一切眠いと感じることがなくなってしまったのだ。
身体の疲れを感じても、眠くならない。夜も眠れないので医師に相談すると睡眠導入剤を処方された。
眠りたければ眠剤を飲まなければならなくなってしまった。
この、睡眠を薬によって完全にコントロールされる生活が良くなかった。
薬でしか眠れないので、睡眠時間を翌日出勤するため支障が生じない時間帯に固定する必要が生じ、次第に生活そのものも睡眠時間を中心に固定されていった。

平日も休日も同じ時間帯に睡眠し、同じように過ごす。そんなことを繰り返すうちに生活にメリハリがなくなっていった。

仕事ができなくなる不安 職を失う不安

そもそも精神科に通院する羽目になった原因が、職場の優秀な同僚たちから自分が取り残されてしまうのではないかという不安だった。
それからしばらくして仕事が暇になり、どう勤務時間を過ごせば良いかわからなくなった。
「仕事が暇だ→ スキルが周りに追いつけなくなってしまう→ 世間で自分が通用しなくなる→ 職を失う→ 社会復帰できない」、こういうことを延々と考えるようになっていた。

この不安自体は、精神科医が処方した薬を飲んでも一向になくならなかった。まあそれは当たり前なのだが。
今まで仕事をバリバリこなすことに生きがいを感じて10年以上過ごしてきた身としては、仕事が暇になることの衝撃は想像以上に大きかった。
もともと職場での自分の存在意義に疑問を感じ悩み始めた矢先に、仕事が暇になるという自分の中で前例のない状況が起きて、対処の仕方がわからず、もがいた。
今の職場を辞めて、他へ移ろうと何度も考えた。だが、35歳という年齢を考えるとどこも採用してくれないだろう、そう思うと余計に不安が募った。

この辺から目に見えて精神的におかしくなったと思う。これまでの人生で積み重ねてきた考えや自信はみな消え失せてしまった。
職場で何をして過ごせば良いのかわからない不安や自分が必要とされない不安など、様々な不安から物事に対して後ろ向きになり、興味関心も失せていった。
そうしてジムにも行かなくなり、お茶やコーヒーも飲まなくなり、食事にも興味を持たなくなった。

この、「増え続ける不安に溺れていく時期→ あらゆる興味関心が失せる時期」が延べ3ヶ月くらい続いた。

次は、陥ってしまった無気力状態からどうやって抜け出したのかを書いていきたいと思う。

退屈な日々と無気力な自分(1)

退屈な日々 時間の過ごし方がわからない

この頃、時間の過ごし方に悩む。悩みの大半は退屈のしのぎ方だ。

この数ヶ月、仕事で忙しいということが本当に無くなった。
最初の頃は暇に過ごすことに後ろめたさや罪悪感を覚え、真剣に退職を考えたものだ。
これまで毎日が忙しく過ごすばかりで、仕事が暇になることなどなかったから、本当にやることが無い状況に陥ったときの時間の過ごし方をまったく知らなかった。
今は勤務時間が暇なことは仕方ないと割り切ることにしてだいぶ心の苦しみから解放された。

帰宅以後の夜の時間の過ごし方にも困っている。数ヶ月の間に趣味や興味というものがほとんど全て無くなってしまった。
あらゆる物事に対する関心が薄れ、どうでもよくなり、ぼーっとテレビ番組の音を聞いてベッドで寝て過ごす日々が続いた。
定時を迎えまっすぐ帰宅するとだいたい20時。自由に過ごせる時間はそれなりにあるのに、テレビを見るでもなく、音だけを聞いてベッドに悶々と横たわるだけ。

あらゆるものに興味がなくなる 無気力状態に長期間陥ったときの恐怖

夕食もパン1個で済ます生活に陥ったときは自分でも驚愕した。パン1個である特定の1日をしのぐわけではない。パン1個の夕食の生活をなんと3ヶ月近く続けたのである。
お茶やコーヒーも飲まなくなった。それまでは職場でわざわざコーヒーをハンドドリップし、茶葉を好んで買い漁っていたものを、職場でも、家でもただ水だけを飲むようになった。お茶やコーヒーは水とは違って、味や香りがあるだけではなく、茶葉やコーヒー豆を選び、道具を集め、自分で淹れる楽しみという趣味の一面もある。それらを一切放棄し、単に喉が渇いたときに水を飲むだけになってしまった。
これまで、人生で食欲だけは尽き果てることがなかったのに、食にこれほどまで無関心になるなんて。
他のものを食べるお金は十分持っている。無いのは、お金じゃなくて、生きる気力だった。

最近は食欲は戻って帰宅途中に店に入って夕食を済ませるくらいにはなった。
職場では紅茶のティーバッグを、自宅ではスーパーで買える緑茶を飲んでいる。
しかし美味しいお店を探したり、自分でコーヒーやお茶を淹れて楽しむほどには戻っていない。

帰宅後もテレビやYoutubeを見たり、ネットサーフィンや調べ物をする程度には回復した。
つくづく、少し前の自分は心を病んでいたと思う。
今でも趣味・興味が尽き果てた状態は続いていて、やることがなくなってしまう日もあって悩む。

休日が怖い

休日の過ごし方が一番の悩みだ。
朝起きてもテレビの音を聴きながらベッドで寝て過ごすだけの過ごし方を3ヶ月続けた。
帰宅後から就寝までの数時間どころではなく、一日中こんな過ごし方を3ヶ月も続けたのである。時間の無駄である。

怖いことだが、それが「時間の無駄」とわかっていても、有意義な時間の使い方というものがまったく思いつかなかったのだ。
やりたいこと・行きたい場所・食べたいもの、何一つ思い浮かばない。そんな状態の人に「有意義な時間」など存在しない。

今は当てもなく出かけたり、買い物をしたり、自分で食べるものを調理して酒を飲んだりと、ある程度時間の過ごし方がましになった。
土曜日に起床して、1日やることが無いと悟ったときが一番怖い。

完全な無気力の生活とは心底恐ろしいと思った。

無気力の恐ろしさ

完全な無気力状態というものがいかに恐ろしいか、今までわたしは知らなかった。
無気力とは興味も関心も失って、何もかもがどうでもよくなる状態だ。
無気力に陥っていた頃に特徴的なこととして、何か行動を起こそうと思った際に効率性や意義をわざわざ考え始めていた。
考えた結果、効率性や意義が無いからやっぱりやめよう、と結論づけるのである。

例えば駅まで行ってラーメンを食べようと思う。そのとき、店まで徒歩や自転車で移動する手間が面倒臭いと思ってしまう。
わざわざ外出のために部屋着から着替えるのも、たかがラーメンを食べて帰ってきたらまた部屋着に戻ると思うと無駄に思える。
そもそもよく考えると、そこまでして食べたいとも思っていない。じゃあやめよう。

これが朝昼晩の食事にとどまらず、休日の他の時間の過ごし方にまで起きると、何もかも「面倒臭い」の一言でやらなくなってしまう。

この状態に陥ると、当てもなく出かけたり、本屋へ出かけて本を物色するといった目的が明確でない行動は全部やらなくなる。
じゃあ何をして過ごすのか?といっても、全て無駄な行動に思えるので、結局ベッドに寝転んでいるしかないのである。
これがどれほど滑稽かつ悲惨な状態かは頭でわかっているのだが、少し前のわたしにはその行動を変えられなかった。

次は、無気力状態に本格的に陥っていった過程を書いてみようと思う。

マイルド貧困と貧困強制社会

マイルド貧困と貧困強制社会

この頃、失職や貧困の研究に勤しんでいる。その中で熱心に読んでいた連載記事がダイヤモンドの『「マイルド貧困」の絶望』と東洋経済の『ボクらは「貧困強制社会」を生きている』である。

diamond.jp

toyokeizai.net

まず、「マイルド貧困」と「貧困強制社会」の定義を引用したい。

格差や貧困問題の是正が放置されているうちに、「アンダークラス(パート主婦を除く非正規労働者)」が900万人を突破、日本は「階級社会」への道を突き進む。中でも「中間階級」が崩壊、「新たな貧困層」が生まれてきた。それは、生活に困窮するほどではなく、好きなことに多少の金を掛けられるものの、将来には希望が持てない「マイルド貧困」だ。

現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。

両者の違いはマイルド貧困の人は生活に困窮していないが、貧困強制社会に陥った人は生活に困窮している点である。
マイルド貧困の人にはまだその気になれば出費を見直し貯蓄に回すお金を捻出する余裕がある。
しかし、貧困強制社会の人にそのような余裕はない。

今のところ、マイルド貧困の記事には痺れるほどの面白さを感じない。今後、取り上げる事柄が変わってもっと面白くなるかもしれないが。
なんというか、これが今の中流階級の生活というものなのだろうと割り切れてしまって、今ひとつパンチがないと思ったのがその理由だ。

それに対して貧困強制社会の記事は考えさせられるものが多い。
貧困に陥る原因は色々あって、そこから抜け出せない重い事実もまた読んでいて痺れるのである。

貧困強制社会に陥るパターン

掲載記事に一通り目を通した結果、貧困強制社会に陥る原因は以下におおよそ分類されることがわかった。

  • 最初から貧しい家庭だった
  • 将来をよく考えずにフリーターや派遣の仕事に就いてしまった
  • 就職氷河期や不景気のせいで非正規の職にしかありつけなかった
  • パワハラやストレスで身体を壊し働けなくなった
  • 障害を抱えていて生活保護で暮らすしか術がない

この中で比較的、当事者の自己責任といえなくもないのが「将来をよく考えずにフリーターや派遣の仕事に就いてしまった」であろう。
しかし、昔の日本はこのような人たちでも一念発起して人生を立て直すチャンスがたくさんあったように思う。

貧困強制社会シリーズに一貫しているテーマは、「一度つまづいたら2度と立ち上がれない絶望」という点に尽きる。
つまづく理由が安易に退職してしまったとか、不景気で希望の職にありつけなかったとか、真面目に続けるつもりで就職したが職場でいじめに遭って体調を崩したとか、色々あるのだが、その後再び人生を立て直そうと思っても正社員の求人がなかったり、書類選考が通らなかったりして今の苦しい現状から抜け出せないのである。

住所を失う恐怖

また、住所を失う恐怖というものを連載を通じて認識させられた。
住むところを一度追い出されてしまうと、引っ越し費用やら新しい家財の購入費用やら、敷金・礼金やら何かとまとまった額のお金が必要になるのだ。
さらに、保証人を立てられないと家を貸してもらえない。
住所がないとまともな職に就くことはできないので、住所を失う恐怖というものはひときわ大きいものだと思った。

切り詰めないと成り立たない生活

貧困強制社会の人々はデフォルトで生活を切り詰めないと暮らしていけない。
食費や遊興費を切り詰めて貯蓄するどころの話ではないのである。そこがマイルド貧困とは明らかに一線を画している。
少ない月収のうえボーナスももらえない仕事を続けているようでは貯蓄などする余裕はない。

マイルド貧困を貧困強制社会の入り口と考えると・・

マイルド貧困を貧困強制社会の序章と考えると話は別だ。

i-lovemoney.com

こうした「マイルド貧困」の先にあるが「老後破綻」「老後貧困」ではないかと思います。

上記引用文のように、マイルド貧困は老後の備えができない層であると捉えると、現役世代を生きるので精一杯で、老後の備えはできない、ゆえに一生働き続けなければならない現状を明らかにする言葉がマイルド貧困とも捉えられる。
日本が高齢化・人口減少、バブル崩壊を迎えた時点で日本は格差社会に転落し、老後の備えもできない層が発生し、そこから地続きに貧困強制社会が存在している。
そう考えると、マイルド貧困が貧困強制社会に転落する可能性も当然のようにあり、それこそが絶望に他ならない。

長つづきしない人

仕事が続かない人

最近いくつかのブログを読んでいて、その中でも特に面白かったのがこのブログだ。

mainichizuruyasumi.love

これは、色々な職を転々としているがどれも長続きしないらしく、「エア出勤」という親に出勤したふりを続けている人のブログである。
仕事が続かないのに食べ物や日用品の購入代金などをどう調達しているのだろうと最初は不思議に思っていたのだが、どうやらキャッシングに頼って76万円も返済が溜まっているようだ。

その借金を返済するため、6ヶ月間期間工の仕事に専念する計画を立てるも4日目にして頓挫(以下)。

mainichizuruyasumi.love

どうも組み立ての仕事が嫌だったらしい。(組み立ての仕事に配属される覚悟はしていたようだが・・)

mainichizuruyasumi.love

ただ、即座に無職に戻る訳ではなく、期間工の前にやっていた清掃の仕事に戻るようだが。

生活費の調達方法

普通に考えたらこんなことを繰り返していたら即座にホームレスになってしまうだろうと思うものの、頼れる実家があるだけでなく、キャッシングに頼りつつも日々を楽しむ買い物ができているようなので、こんなんでも行きていけるのかと驚嘆した次第である。

mainichizuruyasumi.love

ご親切に借金の月々の返済内訳まで記事にしてくれている。
記事の中でひときわ輝く文言は何と言っても「リボ払い」であろう。
今時リボ払いなんて利用する人がいるのかと思っていたが、使う人は使うのだという事実に大変感銘を受けた。
この様子だと貯金できる日は遠いだろうなぁと思った。

このブログの良いところ

このブログの、というか、著者のマーシーさんの良いところはよくありがちな緊張感が出ていない点だと思う。
職がなかったり収入が少なくて苦労している人のブログはたくさんあるのだが、その人たちはたいてい住むところを失ったり生活費がなくなってしまう恐怖をはっきり抱いていて、刻々と減っていく預金残高に焦りを感じながら仕事を探しているものだ。

ところが、このブログにはそういった焦燥感というものが滲み出ていない。
キャッシングで買い物や遊興に費やすお金は賄えているからなのか、基本的にマイペースで絶望とは程遠い。
それがこのブログの面白さというものだろう。

いつまでこんな暮らしが続けられるのだろう?と好奇心が募るばかりだが、どうやら10年どころではない長さでエア出勤の職歴を継続しているようなので、おそらくこのまま最後まで走れるのだろう。
世の中、もっと必死に生きなければ生活できない人もいれば、このようになんやかやで生き延びられる人もいるのである。